DATE : 2007/11/24 (Sat)
category: 福島
「会津若松と五色沼リベンジ 一泊二日福島の旅(→旅程←)」、最後は飯盛山(いいもりやま)です。こちらも会津若松観光では外せないスポットの一つですね。歴史オンチの私も一度は行ってみたいと思ったスポットです。
飯盛山は白虎隊の自刃の地です。白虎隊については会津若松観光公社の→白虎隊のお話←をご覧下さい。彼らのお墓には今も訪れる人が絶えなそうです。私達が到着したときには辺りが少しうす暗くなった頃でしたが、まだたくさんの人がいらっしゃいました。
駐車場(無料)に車をとめて約100メートルで飯盛山の入り口です。入り口付近にはお土産屋さんが並んでします。正面には、ちょっとひるむ傾斜の階段。右手に“動く歩道(片道:¥300だったような...¥250かも)”の料金所があります。飯盛山自体は無料です。今回は全員で楽して“動く歩道”を利用する事に(笑)動く歩道の終点から階段20段程で到着です。階段を上ると広場のような開けた場所にでます。左手に白虎隊のお墓や戊辰戦争で犠牲になった方々の慰霊碑、右手にも海外から送られた慰霊碑などがあります。更に右手に行くと飯沼貞雄爺のお墓があります。白虎隊自刃者中、唯一、蘇生した飯沼少年によって“白虎隊”が世に知られるようになったのだそうです。上手く言い表せないけど、飯沼さん、生きてくれて、伝えてくれてありがとうございます。貴方のその勇気と強さに私は強い感銘を受けました。
その奥に白虎隊自刃の地があります。戦による極度の緊張と疲労の中、この高台で身を休めていた少年達は(近所の侍屋敷の火事によるものだったそうですが)鶴ヶ城が煙につつまれているのをみて落城したと勘違いして、最後まで会津武士らしくあろうと自刃したのだそうです。現在、目前には市街地が広がっています。その奥に鶴ヶ城があるのだそうですが、既に辺りが暗くなっていた事もあり、私は鶴ヶ城をはっきりと見つける事ができませんでした。白虎隊もこんなおぼろげな感じだったのかな? なんとも切ないなぁ~
帰りは階段を降りずにさざえ堂の方向へ帰りました。いつのまにか同行者達に置いていかれている私。あせって追いかけつつも、宇賀神堂のすぐ右側にある供養車が気になり更に置いていかれる事に供養等の一番上に車があって、それを手前に回すと悲痛な音が響き白虎隊士の霊を慰めるのだそうです。その台座には中国の伝説上の動物「獏」が彫られ(?)ています。獏は夢を食べるので、頭に上ると悪夢消滅の願いを叶えてくれるんだそうです。悪夢はあまり見ないけど、とりあえず漠の上にのって車をまわしておきました
供養塔から少し下るとさざえ堂です。さざえ堂は六角三層のお堂で、国重要文化財に指定されています。1796年に建立され、その高さは16.5メートルです。一方通行構造で上りと下りが全く別の通路を通る為、参拝者同士が擦違う必要が無いので沢山の方が安全にお参りが出来るのだそうです。正式には「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)と云うのだそうです。辺りが暗くなっていく所為か、同行者達は私を残してどんどん下っていってしまいます。少し前にテレビで見て興味を持っていたので本当は入ってみたかったのですが、なんとなくスルーしてしまいました。正直、今、とても後悔しています。同行者達の事なんてほっといて、やっぱり入っておけば良かった
さざえ堂から少し下ったお宮(厳島神社だったかな?)の奥に戸ノ口堰洞穴があります。戸ノ口堰洞穴は猪苗代湖の水を会津地方に引くための灌漑用水なんだとか。戸の口原の戦いに破れた白虎隊がこの洞穴を通って引揚、鶴ヶ城の状況を確認しようと飯盛山に辿りついたのだとか。(画像をクリックして頂くと多少大きくなります。)
雪の後のせいか水量がとても多く、ゴーゴーと水が流れていました。あたりがかなり暗くなっていた所為もあり、敗退してここを通ってきた白虎隊を思うとなんとも辛い気持ちになりました。
周りに同行者は誰一人いなくなってしまいました。完全に置いてきぼりの私、小走りに道を下って皆を追いかけます。う~ん、皆、本当に優しいんだから ちなみに飯盛山の一角には“白虎隊記念館”もあります。私にとっては、さざえ堂が心残りです。こういう時(自己中集団の中にいる時)こそ、こっちも負けずに自己中パワー発揮しないとダメなのよね。さざえ堂、入っておけばよかった
飯盛山
福島県会津若松市一箕町八幡
動く歩道(多分300円)
駐車場(無料)
会津若松市観光課
TEL:0242-39-1251
FAX:0242-39-1433
会津若松市URL
さざえ堂
有限会社 山主飯盛本店
〒965-0003 福島県会津若松市一箕町飯盛山さざえ堂
TEL:0242(22)3163
FAX:0242(25)3419
大人 400円
会津さざえ堂公式ホームページ
飯盛山は白虎隊の自刃の地です。白虎隊については会津若松観光公社の→白虎隊のお話←をご覧下さい。彼らのお墓には今も訪れる人が絶えなそうです。私達が到着したときには辺りが少しうす暗くなった頃でしたが、まだたくさんの人がいらっしゃいました。
駐車場(無料)に車をとめて約100メートルで飯盛山の入り口です。入り口付近にはお土産屋さんが並んでします。正面には、ちょっとひるむ傾斜の階段。右手に“動く歩道(片道:¥300だったような...¥250かも)”の料金所があります。飯盛山自体は無料です。今回は全員で楽して“動く歩道”を利用する事に(笑)動く歩道の終点から階段20段程で到着です。階段を上ると広場のような開けた場所にでます。左手に白虎隊のお墓や戊辰戦争で犠牲になった方々の慰霊碑、右手にも海外から送られた慰霊碑などがあります。更に右手に行くと飯沼貞雄爺のお墓があります。白虎隊自刃者中、唯一、蘇生した飯沼少年によって“白虎隊”が世に知られるようになったのだそうです。上手く言い表せないけど、飯沼さん、生きてくれて、伝えてくれてありがとうございます。貴方のその勇気と強さに私は強い感銘を受けました。
その奥に白虎隊自刃の地があります。戦による極度の緊張と疲労の中、この高台で身を休めていた少年達は(近所の侍屋敷の火事によるものだったそうですが)鶴ヶ城が煙につつまれているのをみて落城したと勘違いして、最後まで会津武士らしくあろうと自刃したのだそうです。現在、目前には市街地が広がっています。その奥に鶴ヶ城があるのだそうですが、既に辺りが暗くなっていた事もあり、私は鶴ヶ城をはっきりと見つける事ができませんでした。白虎隊もこんなおぼろげな感じだったのかな? なんとも切ないなぁ~
帰りは階段を降りずにさざえ堂の方向へ帰りました。いつのまにか同行者達に置いていかれている私。あせって追いかけつつも、宇賀神堂のすぐ右側にある供養車が気になり更に置いていかれる事に供養等の一番上に車があって、それを手前に回すと悲痛な音が響き白虎隊士の霊を慰めるのだそうです。その台座には中国の伝説上の動物「獏」が彫られ(?)ています。獏は夢を食べるので、頭に上ると悪夢消滅の願いを叶えてくれるんだそうです。悪夢はあまり見ないけど、とりあえず漠の上にのって車をまわしておきました
供養塔から少し下るとさざえ堂です。さざえ堂は六角三層のお堂で、国重要文化財に指定されています。1796年に建立され、その高さは16.5メートルです。一方通行構造で上りと下りが全く別の通路を通る為、参拝者同士が擦違う必要が無いので沢山の方が安全にお参りが出来るのだそうです。正式には「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)と云うのだそうです。辺りが暗くなっていく所為か、同行者達は私を残してどんどん下っていってしまいます。少し前にテレビで見て興味を持っていたので本当は入ってみたかったのですが、なんとなくスルーしてしまいました。正直、今、とても後悔しています。同行者達の事なんてほっといて、やっぱり入っておけば良かった
さざえ堂から少し下ったお宮(厳島神社だったかな?)の奥に戸ノ口堰洞穴があります。戸ノ口堰洞穴は猪苗代湖の水を会津地方に引くための灌漑用水なんだとか。戸の口原の戦いに破れた白虎隊がこの洞穴を通って引揚、鶴ヶ城の状況を確認しようと飯盛山に辿りついたのだとか。(画像をクリックして頂くと多少大きくなります。)
雪の後のせいか水量がとても多く、ゴーゴーと水が流れていました。あたりがかなり暗くなっていた所為もあり、敗退してここを通ってきた白虎隊を思うとなんとも辛い気持ちになりました。
周りに同行者は誰一人いなくなってしまいました。完全に置いてきぼりの私、小走りに道を下って皆を追いかけます。う~ん、皆、本当に優しいんだから ちなみに飯盛山の一角には“白虎隊記念館”もあります。私にとっては、さざえ堂が心残りです。こういう時(自己中集団の中にいる時)こそ、こっちも負けずに自己中パワー発揮しないとダメなのよね。さざえ堂、入っておけばよかった
飯盛山
福島県会津若松市一箕町八幡
動く歩道(多分300円)
駐車場(無料)
会津若松市観光課
TEL:0242-39-1251
FAX:0242-39-1433
会津若松市URL
さざえ堂
有限会社 山主飯盛本店
〒965-0003 福島県会津若松市一箕町飯盛山さざえ堂
TEL:0242(22)3163
FAX:0242(25)3419
大人 400円
会津さざえ堂公式ホームページ
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